2015年9月17日木曜日

高校の同期会



5日に函館ラサール高校の同期会があった。
僕らが青春時代を過ごした昭和59年はとても平和な時代であったことは確かである。
寮生活ゆえ、外界とはものすごく厚い殻で隔絶されており、一般の高校生がどんな生活を送っているのか知るよしもなかった。受験を宿命とされたコミュニティで、貴重な青春期を集団で過ごした。高田みづえの「そのなヒロシに騙されて」を聞きながら、数学の積分を解き、寮のテレビ室では小泉今日子がセクシーな衣装で「真っ赤な女の子」踊っていた。
18歳の少年が30年後の自分を想像することなど到底できなかった。
みんな将来どんな人間になっているのであろう?
漠然とした疑問はだれしもが抱いていたであろう。
それぞれの函ラ生(不幸にして命を落とされかたはいますが)にそれぞれの30年後の世界は用意されていた。
僕らは卒業と同時にばらばらな方向に散っていった。蜘蛛の子を散らすように。木の根がランダムな方向に伸びていくように。いろいろな仕事につき、いろいろな困難を乗り越えながら今日を迎え、この場に収束することができた。
遠い昔に無くしてしまったものがひょっこり出てきたような。無くしたことさえ気づいていないものが突然目の前に現れたような。そんな嬉しい再会だった。
いったん消え失せた「絆」がまた復活したような、そんな貴重な時間でもあった。

2014年12月15日月曜日

2014 鱈釣り


 今年初の鱈釣りである.12月13日、函館は今年一番の寒波が入り込んで大雪に見舞われていた.時化が心配だったが、前日確認すると出港できるとのこと.

 昨年シャクリ棒を自作したのだが、一度もトライしていない.昨年中にテストしてみたかったのだが、あいにく時化のため直前でキャンセルになった.シャクリ棒と言っても、釣りをやらない人には何のことか分からないだろう.深海の真鱈を釣るには、重さ1.2kgの棒が必要になる.鱈は底にいるため、この棒をいったんそこまで落とすわけだが、このとき針が根に引っかかり、すぐに高価なシャクリ棒を失ってしまう.一本3000円以上するので、3本失うと1万円となる.そこで何本失ってもいいように自分で作ってしまおうと考えたわけだ.この棒は銅やステンレスのパイプに鉛を流し込んで作るのだが、マニュアルなどはなく、かろうじてネットに紹介されている程度.パーツや道具が釣具屋に売っているはずもなく、すべて自分で調達しなくてはならない.銅パイプは水道管屋、鉛は放射線科から余っているものを手に入れた.これをバーナーで溶かして、管に流し込む.重さ、長さ、形状など失敗の繰り返しで、どう見ても買った方が安く、安全だった.それでも10本近く作成することができた.今日が待ちに待ったテストの日だ.船は昨年から乗せてもらっている竜扇丸である.かなりご高齢の船長であるが、電話でお願いすると1人でも乗せてくれるところがいい.






 大澗港を6時30分に出港した.結構波が高い.立っていると船から落ちそうになる.潮が速い.ラインが右に左に流される.底をとって4,5メーター上げ、しゃくる.ひたすらしゃくる.鱈のシャクリは先端をきかせて、パンとしゃくって、ひらひらひらと棒を落下させるのがコツである.ゆっくり上げ下げしていては食ってこない.それにはどうしても硬い竿が必要である.重いシャクリ棒をいっきに持ち上げるには先調子の250号以上の竿が必要である.値段や性能よりもとにかく固さである.棚とシャクリが決まれば細かいテクニックはあまり必要ない.カレイに比べるとかなりおおざっぱ釣りである.




今回は腹がパンパンな大鱈が3匹、ポンタラが6匹、なぜか大きな宗八カレイが一匹という結果であった.後半は潮が悪くなり、ガクンと釣果が落ちたため、11時納竿となった.洋上はわりと暖かいが陸に近づくとさすがに寒さがこたえた.外気温-5℃、函館市内は吹雪模様.真冬の危険な遊びである.


2014年10月28日火曜日

ザ・カレイ




先日、といっても10月19日のことだ.

私は長男を連れて八雲にマガレイ釣りに行ってきた.

出向は5時半、気温6℃、この時期としては若干寒い.

船は佳栄丸、船長の木村さんは温厚だ.

カレイは潮回り?、底の状態でその日の釣果が決まる.

昨年は1勝2敗、後半は全く釣れなかった.

釣れるか、釣れないかはカレイの気分しだいといったところなのである.

仕掛けを投入してすぐに勝負が決まるといっても過言ではない.

この日はすぐにあたりがきた.

終始釣れ、サイズもまずまずで、とても満足のいく日だった.

そして日刊スポーツにこんな記事が